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赤坂小学校の児童と一緒にけやき通りの清掃や花植えをしました |
けやき通り合同清掃(赤坂小学校、国交省福岡国道事務所、道守会員) |
福岡国際マラソンを週末に控え、赤坂小学校の4年生の児童たちと、国交省福岡国道事務所等と合同で
けやき通りの花植と清掃を行いました。
天気が懸念されましたが、無事、実施できて安堵しています。
児童の皆さんからも元気を分けていただきました。
参加していただいたみなさん。本当にありがとうございました。 |
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落葉で自転車がスリップしやすくなります。
スリップに注意して走行してください。。 |
けやき通りの北と南に、現在位置が判るプレートが設置されました。 お店や建物の場所を説明するときなどにご利用下さい。
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腐朽菌で寿命となったけやきの植え替えに伴い、平成20年1月19日(土)植樹式典が行われました。 けやき通りについて学習している地元の赤坂小学校の子供達も参加してくれました。 新しい木は子供達と同じくらいの樹齢で、彼らと共にすくすくと成長してくれることを祈念します。
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シーニックは「景色」、バイウェイは「わき道、寄り道」を意味します。発祥はアメリカ。行政、住民、利用者、NPOなどが一体となって、地域の沿道景観や自然環境の保全・整備に取り組み、歩行者やマイカーの旅行者を呼び込む活動を行っています。道路そのものを観光資源として活用するという新しい視点です。
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シーニックバイウエイの詳細 |
■九州道普請フォーラム (2002年2月15日 西日本新聞より抜粋) |
道を通して住民と行政が連携した地域づくりを探る「九州道普請フォーラム−共創のみちづくりを考える」(西日本新聞社主催、国土交通省九州地方整備局など後援)が八日、福岡市中央区天神の福岡国際ホールであった。丸山雍成・西南学院大学国際文化学科教授の基調講演の後、官学民五人のパネリストが討論。
道づくりへの民間非営利団体(NPO)の役割の必要性などが指摘され、「住民側に地域づくりの決定権を持たせるべきだ」「住民は地域での役割の再認識を」などの意見が出た。会場には約五百人が集まり、真剣に討論に聞き入った。 (コーディネーターは玉川孝道・西日本新聞社編集局長)
■パネリスト紹介
谷口博昭氏 (国土交通称道路局企画課長) 桑野和泉氏 (湯布院温泉観光協会常務理事) 伊藤博文氏 (よしいコスモス街道実行委員会代表) 大谷妙人氏 (グラウンドワーク福岡代表世話人) 安立清史氏 (九州大学大学院人間環境学研究院助教授)
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講演者:西南学院大文学部国際文化学科教授 丸山雍成氏
わが国の道の歴史を振り返ると、文献的には「魏志倭人伝」が一番早い。「権力者が道を通るときは、草中にしゃがみ込んで礼をする」などの記述があり、草むらと道との区別は明確だったようだ。そこから考えると、クニとクニとを結ぶ道もあったと推測できる。縄文時代までさかのぼることも可能だろう。
国家が形成され、律令制の時代になると、「律令官道」が整備された。都から国衙までが駅路、国衙から都などに向かう道を伝路といい、公用の通信、官吏の往来に供する道路を造り上げた。いわば律令制を貫徹させるための道であった。 最も大きな駅路「大路」は、都から大宰府へ向かう山陽道だった。数キロから十数キロ直線部分があり十二〜十八メートルの道幅があった。公地公民であったから、案外簡単に造れたのではないか。
各地の発掘調査で分かることは律令制が緩んだ平安以降は、駅路だった道が幅六、七メートルと狭くなり、無くなったところもある。一方では、荘園が出現し、土地の所有権が拡大すると、地方豪族の荘園手伝い、あるいは公領とを結ぶ道が生まれる。その代表が、鎌倉幕府の鎌倉街道。鎌倉を中心に放射状に延びる。街道沿いには宿屋が生まれ、その周囲に自然発生的な集落「宿」(しゅく)ができるのがこの時期の特徴だ。
戦国時代は諸大名が交通体系の整備を担った。大名たちは、本城と支城、とりでを結ぶ道を造った。大内氏、大友氏などは、領内の有力諸家を一年のうち国もとに百日、残りは本城の屋敷で過ごさせるような「参勤交代」を始めている。これは信長、秀吉によって全国規模に広げられ、家康が法制化した。 徳川氏は、東海道などの五街道と、それ以外の脇街道とを分けて整備させた。これは三代将軍家光の時期に完成している。橋や並木だけではなく、井戸や便所も造った。
江戸時代、都市では大八車や、べか車など、陸上輸送の手段が普及した。橋が壊れ、道が荒れ、通行人がけがをするといった「交通問題」が起き、これに幕府や藩が厳しく対処した記録も残っている。 この時代、杉並木の日陰になった田畑は、年貢を軽減したりした。一般に「悪代官」のイメージもあるが、幕府や諸藩の代官は、地域の声に耳を傾けて問題を解決している。
現在、九州では、長崎街道や、秋月街道、北九州や遠賀川水系の運河などを保存整備し、地域づくりの資源として活用しようという運動が盛り上がっている。国も「歴史の道」「歴史国道」などの整備も進めている。その際、大切なのは歴史を良く学び、江戸時代の為政者のように、地域の声を聞き、一体となって事業を進めていくことだろう。
略歴:九州大学名誉教授。 福岡県・歴史の道調査委員会委員長。 長崎県・長崎街道整備活用計画策定委員会委員長。
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私が子どものころ、道で子どもは花火やキャッチボールをし、大人は将棋や夕涼みをしていた。 道はコミュニケーションの場であり、道を介したコミュニティーがあった。しかし、このコミュニティーが失われ、地域社会が崩れた。道によって地域のつながりが形成されてきた時代に立ち返る必要があるのではないか。大事な日本人の心、魂を取り戻すことができると思う。
車社会になり、道のことは官任せになっている。道を整備し、それをうまく利用することで、国民の暮らしや地域が良くなり、地域文化がはぐくまれる。それには「道はみんなの財産」という共通意識を持ち、責任を分かち合う必要がある。道に貢献できるものをそれぞれで見つけ、道づくりに参加してほしい。 ただ、道づくりは国民一億二千万人がバラバラにやってもできない。その意味から、(住民を束ねる)民間非営利団体(NPO)の役割が非常に需要だ。
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玉川 道はいつの間にか、お上任せ、行政任せになっている。たとえば、民の情けない姿勢として、ポイ捨てがある。車から家庭ごみや缶を平気で投げ捨てる人が目立つ。まずこれを防ぐにはどうしたらいいか。
大谷 ポイントは環境教育だ。英国のある地域では三歳から実施している。なぜなら、環境を悪くしているのは大人だ。小学生に環境教育をしても、大人は一緒に学ぼうとしない。しかし、幼い三歳なら大人もついてきて、一緒に学んでくれる効果がある。 話は少しそれるが、福岡県宮田町のある地区でかつてラブホテル建設反対運動があった。建築協定をつくったが、ある人から「(ラブホテル排除など景観を重んじる)協定をつくったにもかかわず、道が汚いのはなぜか。ごみの不法投棄が多すぎる」と言われた。 これをきっかけに住民が立ち上がり、歩道の掃除を始めた。当初は一週間も掃除をしないと、軽トラックで処分場に持っていけないほどごみがたまった。しかし、回を重ねるごとに減っていった。今では建築協定の締結から十年以上たっているが、掃除は三ヶ月に一回でよくなった。
谷口 この問題はトイレを考えればすぐに分かる。公衆トイレは汚いが、自分の家のトイレはきれいでしょう。自分の家のトイレは自分で掃除するか、家族が掃除する。なぜなら、汚いと、自分にはね返ってくるからだ。 一方、「きれいな所は汚くはしない」という心理が人間にはある。ボランティアとかいろんな人が沿道などの掃除をすれば、ポイ捨てもなくなっていくのではないか。
伊藤 私たちが整備するコスモス街道にもポイ捨てが目立つ。空き缶や空き瓶がかなり多く、整備作業をする場合、危ない。 吉井町は五月三十日を基準にして「ごみゼロ」ということを町民をあげて取り組んでいる。私の記憶では、七、八年前に、回収したごみは軽トラックで六台分くらいだったが、最近では多くても半分以下。今年は二台だったと思う。活動を継続していく中で、地域住民も啓発され、コスモス街道のごみも減った。
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玉川 民の情けない例をあげたが、民の中にも道の問題を自分の問題として取り組んでいる人もいる。それが桑野さんであり、伊藤さんだ。取り組みと課題を話してほしい。
桑野 道づくり、地域づくりは、多くの人が自分の地域を愛することから始まる。湯布院町の観光基盤の柱は地域づくり。地域があって観光が成り立っている。行政、地域住民、民間非営利団体(NPO)など、さまざま人が一生懸命地域づくりを考えている。声を掛け合うといろんな人が集まり、多くの知恵を出しあっている。ただ、道や地域を一番知っているのは子どもと子育てをしている母親だが、この人たちの声を道づくり、地域づくりに生かすシステムが不十分だ。
伊藤 吉井町の国道210号バイパス完成区間(五・五キロ)には植栽スペースがある。これを活用して、コスモス街道として整備している。参加した多くの人がこの活動を通じて自分たちも地域づくり、まちづくりに喜び、充実感を抱いている。 問題もある。労働力などは無料で提供できるが、種や農薬などが必要で、活動資金の工面が課題だ。
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玉川 大谷さんは福岡県職員、足立さんは大学助教授だが、市民活動にも汗を流している。内容を説明してほしい。
大谷 英国のグラウンドワークの活動を地域に紹介したりしている。英国は一九七〇年代、経済的に非常に疲弊していた。サッチャー政権が登場し、小さな政府構想を打ち出した中で、企業とか民間の活力を最大限に利用しようとした。グラウンドワークは民活で地域の環境改善ができないかと起きた活動。 今、私たちは小学校などとも連携している。総合的な学習の時間(総合学習)の支援で、子どもたちとともに地域の問題を調査している。
安立 私が所属する「NPOふくおか」はNPOを支えるNPOだ。阪神・淡路大震災では日本の高速道路が崩れるなど、大災害が起きた。その時、大勢のボランティアが集まり、今までに例がないすごい力を出した。まちづくりをはじめ、住民が新しい公共性を発揮する時代を迎えた。
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玉川 外国は道の問題や地域づくりをどうしているのか。米国の事情は安立さんが、英国は大谷さんが詳しい。それぞれ話してほしい。
安立 八年ほど前、米国ロサンゼルスに約一年間住んでいた。米国の西海岸には大規模な高速道路がたくさんある。片側六車線の計十二車線という道路があり、その管理運営は大変。米国の道路は意外とおんぼろで、ガタガタ。荒れたところがあった。 交通違反者は違反を償うために、罰金を払うか、道路清掃のボランティア活動をするかのどちらか選ばなければいけない仕組みだ。また毎朝、大勢の人がボランティア活動に出かけていたが、そのコーディネートはNPOがしていた。 ただボランティア活動の強制は、問題があると思う。他の外国の中にもボランティアの義務化を導入しているところがあるが、住民の真の力が発揮されるとは思えない。
大谷 サッチャー首相時代の英国は財政事情が厳しかった。そのときのやり方として、例えば、企業誘致は行政が担当し、誘致場所の美化には住民たちが取り組んでいた。住民たちも働き口がほしいからだ。それで着実に地域の環境が変わっていった。今、日本も財政事情が厳しい。参考になると思う。
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玉川 今後、どんな取り組みをしていけばいいだろうか。
伊藤 私たちは「地域住民の一人」という認識をもっと持たなければならない。住民として自分の責任を考え、役割を果たしていかなければならない。
谷口 ボランティアで道路清掃活動などをしている、心ある住民がいることは確かだ。国土交通省としては、その活動を大きくしていきたい。そのために国がどんな支援をしていけばいいのかを考えている。(一つの試みとして)地域住民の道路美化活動などを支援するボランティア・サポート・プログラムという事業をスタートさせている。
大谷 地域づくりを行政ばかりに負担させると、どうしても動きが鈍くなる。住民が汗を流す心地良さを感じながら頑張り、残りを行政が支援する方法がいいのではないか。住民と行政。それに企業が力を合わせていくための仕組みを考えるべきだ。
安立 住民が積極的、かつ前向きに地域づくりにかかわることができるための仕組みづくりが必要だ。住民が地域づくりに「参加」するだけでなく、「参決」させる段階までしていかなければならない。「参決」とは、地域づくりの決定権を住民にも持たせていくことで、それによって住民の積極性が出てくるはずだ。地域ニーズを踏まえて活動している住民団体などに決定権を与えたらいいと思う。
谷口 国土交通省の道路局長には怒られるかもしれないが、安立さんの意見に同感だ。そこまでしなければ、本当の道づくりはできないと思う。
桑野 人口約一万二千人の湯布院町には年間約三百八十万人の観光客が訪れている。交通渋滞が深刻だが、住民それぞれに受け止め方が違っていた。そこで約四百五十人で交通渋滞の現状を調査し、問題の共有化を図った。その後、問題解決のために住民にできることと、行政にしてもらうことを整理して取り組んでいるが、住民側はボランティア。現実問題として持続が難しく、ぐったりして希望を失うこともある。 安立さんが提言されたように住民側が決定権も持つことになれば希望が見えてくる。とにかく美しい街をつくりたい。それを次世代に引き継ぎたい。
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私たちにとって道とは何だろう。高速自動車道から散歩道まで、どれ一つとっても、日々の暮らしに欠かせないものだ。古代から、人々は共有の財産として、力を合わせ、道を作り道を守ってきた。道は「みんなの」暮らしを支え、産業を起こし、文化を運び、人々を結びつけた。
なのに、道は人々、地域から遠い存在になった。あなたは子供が道路でキャッチボールや縄跳びをし、老人が番台で将棋をさすあの風景を思い出しませんか。道路は便利だけれども、車のためのもの、子供や老人には危険な存在、大気汚染や騒音をまき散らすものなど。私たちは心地よい広場としての道「公共」を失ってしまったのだろうか。
心にも忘れ物がある。「道普請」みんなで心と力を合わせ、道を作り、守る。しかし、今、道づくりや管理は「行政の責任」ですませていませんか。自宅前、事業所の前が汚れ、雑草が茂っていても知らん顔。空き缶どころか、家庭ゴミまでポイ捨て。家の前の歩道に花壇、窓を花で飾る人々の住む国がなんと遠いことか。
心ある人々を中心に、私たちと道との関係をもう一度考え直してみようという気運が生まれ、花いっぱい運動などが育ち始めた。道路行政も量から質へ大きく転換しようとしている。そして、住民と行政の協働という「新しい関係」も芽生え始めてきた。
そうした気運と潮流を一つにまとめ、大きな流れを作り出そう。それが、「道守九州会議」設立の呼びかけになった。道守(みちもり)。万葉の昔から、そう呼ばれる、道を守る人がいた。旅人のおなかと喉を潤す果樹を沿道に植えた行政の心があった、という。住民と行政がそれぞれの役割を果たしながら、協働して道路を守り育てていく。21世紀の道守。そんな「道と人の新しい縁(えにし)」を作り出す道を拓き、一歩踏み出そう。 |
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